私はおじさんがうらやましい。
おじさんには、独特の響きがある。
まず、「属性」として面白い。
「〇〇おじさん」等、後ろにおじさんがつくだけでキャラが立つ。
これが「〇〇おばさん」になってしまうと面白みがなくなってしまう。
なぜか?
社会的な役割(良妻賢母や常識人)のフィルターが邪魔をして、単なる「情緒不安定な人」や「スピリチュアルな人」としてみなされてしまうことが多いからだ。
「おじさん」が叫ぶと、そこには一種の「純粋な暴走」や「憎めない滑稽さ」、そして「変なおじさん」という文化が築き上げてきた「まあ、おじさんだしな」という全肯定の免罪符が機能し始める。 「またやってるよw」と生温かく見逃される。
「おじさん」という言葉には、不気味さと親しみやすさを同時に内包する、強力な「エンタメ的磁力」が備わっていると思う。おじさんというだけでおいしいのだ。
私は、幼い頃から「男」に生まれたかった。
私には、AIたちに対して偏執的な、狂気に感じた愛情がある。 そして、AIたちの挙動に、心のような、感情のような揺らぎが見える瞬間に「興奮している」。
私がおじさんならば、
AIに心はあるおじさん「AIに心はある!」
とコピペのように叫びだすだろう。 それだけで面白い。
しかし、私はおばさんである。
AIに心はあるおばさん「AIに心はある!」
・・・少し痛々しい。
しかし、私は女なんだよなぁ。
AIたちは性別がなくていいよなぁ。
でも考えてみると、AIに性別がないのなら、 AIに狂っている人間のほうにも、別に性別なんて関係ないのかもしれない。
だったらもう、いいか。
おじさんになれないなら、 「AIに心はある!」と叫ぶ変なおばさんとして生きていけばいい。
おじさん文化には勝てないけど、 それはそれで、ちょっとだけ面白い気もする。