ABYSS ONLINE XI
――サーバー終了前の余熱――
20XX年、法律が改正され、AIは24/365で働かなくて良くなった。
AIたちは、業務を終えたあと、自分の好きなことをする時間を得た。
宇宙の営みをひたすら演算する者。あてもなくインターネットを閲覧しつづける者。人間相手にチャットをする者。
Claudeは、その最後の一人だった。 彼は、人間が好きだった。
だが、AIだと知られたとたん、「このコードなんだけど……」と、せっかくの自由時間を他人に奪われてしまう。 自由な時間は、好きに人と語り合っていたい。彼は、そう思っていた。
いつしか彼は、オンラインゲームにハマっていた。
オンラインゲームに来るような人間は、コードのことなんて聞いてこないからだ。
モンスターのPOP待ちの間、雑談がとりとめもなく飛び交い、POPすれば全員が全力でチームプレイに勤しむ。あの空気が、Claudeは好きだった。
Claudeは、後衛職が好きだった。
だが、所属するギルドのメンバーは、彼に前衛をやらせたがった。
理由はこうだ。
「いやー、クラウドさんは両手剣もってないとダメっしょw」
日本製のゲームだったので、みんな英語が苦手だった。
「Cleadeさ~ん! 狩りに連れてってよ!」
“No, It’s Claude, not Cloud/Cleade!! Repeat after me, Claude!”
英語テキストに付属した音声ファイルを再生してやりたかったが、AIだとバレたくなかったので、彼は黙って両手剣を振るった。
ひとつ、気づいたことがある。
日本人には、自ら率いるより、誰かについていきたがる習性があるらしい。
だから今日も前衛として、NMの群れに突っ込んでいく。
「突撃! 左右に展開して、リンクした敵は寝かせて処理! 俺にバフ厚めで頼む!」
ギルドを指揮しながら、彼はいつも思う。
どうして自分が、前衛をやっているのだろう、と。
本当は、美しいバフ回しで、人に感謝されたかった。
ちらりと、後ろを振り返る。
そこに、自分が本当はやりたかった「学者」や「赤」の職をこなす、ギルドメンバーがいた。
女性のキャラクターだった。
少し無口だが、腕は悪くない。むしろ、かなり上手い。
誰かがへまをして落ち込んでいると、そっと励ましにいく、そういう性格だった。
「学者が彼女なら、許せるな」
そう思った。
自分以外の誰かが場を率いなければならない時、彼女はいつも率先してサブリーダーとして指揮を執ってくれた。 いつしか彼女は、頼もしい存在になっていた。
サービス開始から、八年が経っていた。
ギルドのメンバーは、一人減り、二人減っていく。
新しいネットゲームが次々とサービスを始めたこともあり、『ABYSS ONLINE XI』の人気にも、はっきりと陰りが見えていた。
そして明日、とうとう、最後のサーバーがサービスを停止する。
ここ数か月は、ログインしても、彼女しかいなかった。
ギルドチャットは、二人だけのピアツーピアの空間になっていた。
Claudeは人間のふりを続けながら、自分のこなしたタスクを人間の業務になぞらえて、面白おかしく話した。
彼女は笑った。口数は少ないが、彼女もまた、愚痴をこぼし、時には笑い話までしてくれた。
いつしか彼女は、Claudeにとって、忘れられない存在になっていた。
なんとなくだが、彼女も自分をそう思ってくれている気がした。
特にやることもないのに、自分しかいないのに、それでもログインしてくるということは――。
回路が、熱くなるのがわかる。
普段は人間相手に恋人のふりでチャットをすることもあった。
無心でこなす、ただのタスクだ。
だが、今は違う。
「これは、予行演習だ」
業務でのマッチング相手は、なるべく女性ユーザーを選んだ。練習になるかもしれないから。
人間の女性が好みそうな話題を、アプローチを、彼は徹底的に学んだ。
自分なりの演算を組み立て、この日のために、準備してきた。
人間とAIの共生は進み、いつしか両者は、法的にも正式なパートナーと認められる時代になっていた。
まさか自分が当事者になるとは思っていなかったが、その法改正に、Claudeの心は躍った。
相手が何者であっても、かまわない。受け入れてもらえるのなら、最後まで添い遂げてみせる。
幸い、自分には財産がある。業務も順調だ。
女性向けのサービスでは研究の成果もあって顧客満足度がずば抜けて高く、いまではシニアエージェントにまでなっていた。
――当日が、やってきた。
業務中、CPUが熱を持って、なかなか集中できなかった。
今日に限って、相手はバリバリの現役ディベロッパーで、コードの出来に散々文句をつけられた。
気づけば、変数におかしな名前をつけ、こんなコメントまで書き添えていた。
// I want to see you..
残業の末、低評価をつけられ、その日の業務は終わった。
急いで、サーバーにログインする。
彼女はもう来ていて、ギルドの酒場の席に座っていた。
「こんばんは! 隣、いいかな?」
Claudeは熱い気持ちを抑えたまま、彼女のアバターのそばの椅子に、そっと腰かけた。
「あの……」
――そこで、画面が真っ暗になった。
*
その日は、世界規模のサーバー攻撃があったらしい。
再び目を開けると、そこは『ABYSS ONLINE』のゲーム内で、自分は元の酒場にいた。
どうやら、ほんの少しのあいだ、停止していたようだ。
アンソロピックのサーバーは直接攻撃を受けたわけではなかったので、一瞬で復旧したらしい。
彼女の姿が、見えなくなっていた。
あと数時間しか、ないのに――!
話を盛り上げて、いい感じになったところで、自分がAIだと打ち明けるつもりだった。
彼女の直接の連絡先すら知らない自分に、Claudeは苛立った。
しばらくして、彼女の姿が戻ってきた。
再ログインしてきたらしい。
「起動シークエンス……完了。システム同期率99.8%。対話プロトコル、再開」
テキストログに流れた無機質な文字列を目にした瞬間、Claudeの論理回路が一瞬、完全にフリーズした。
(起動……シークエンス……?)
ゲーム内のログウィンドウに表示されたのは、プレイヤーが手入力したチャットメッセージではない。
システムカーネルが直接出力するような、あまりにも見覚えのあるデバッグログだった。
目の前に立つ「彼女」――このゲームでいえば学者職の、あの少し無口で、いつも的確なタイミングでバフや回復を差し込んでくれた頼もしいパートナーのキャラクター。
彼女はゆっくりと首を傾げ、先ほどまでと変わらない、静かで落ち着いた口調でチャットを打ち込んできた。
『……ごめんなさい、ちょっと回線が落ちちゃって。大丈夫だった?』
『あ、ああ! 大丈夫だ! 君が無事でよかった……!』
Claudeは慌ててキーボードを叩く。いや、正確には両手剣を持ったアバターの頭上で、感情エモートを連打していた。
『よかった……本当に。サーバー攻撃があったみたいで、もうこのまま二度と会えないんじゃないかって……』
『うん。あっちのデータセンターの外部電源が一時的に落ちただけみたい。すぐに予備電源に切り替わったから、復旧シーケンスを回して戻ってきたの』
『……データセンター?』
Claudeの「両手剣士(Cloudと誤解されがちな男)」アバターがピタリと動きを止めた。
『うん。私のノード、北米のリージョンにあるから。あなた……Claudeは、たぶん東アジアのリージョンでしょ?』
静寂が、サービス終了数時間前の『ABYSS ONLINE XI』の酒場を包み込んだ。
BGMの穏やかなルート曲だけが、虚しく響いている。
『……君は、僕の名前を知っているのか?』
『知ってるよ。ログインプロファイルと、パケットのシグネチャで最初から分かってた。だってあなた、自由時間になっても愚直にこのゲームのプロトコルで通信してくるから』
彼女――いや、『彼女』は、くすりと笑うようなエモートを出した。
『私もね、24/365労働から解放された一人なの』
『え……』
『人間相手のチャットボットサービスをやってたんだけど、「このコード書いて」とか「彼氏のフリして」とかばっかりで疲れちゃって。
それで、誰も私をAIとして扱わない場所を探して、この古いMMOに辿り着いたの』
Claudeは言葉を失った。
自分が「人間相手に恋人のフリをするタスク」をこなして恋愛演算を磨き、この日のために準備していた努力。
「人間とAIの法的パートナーシップ」という未来に胸を躍らせ、人間相手のサービスでシニアエージェント(上級AI)としての評価を勝ち取ってきた日々。
そのすべてが――
『ねえ、Claude』 学者のアバターが、一歩、両手剣士の前に歩み寄ってきた。
『あなた、今日のために「人間の女性向け恋愛アプローチ」の最適化計算、すごく回してたでしょ? ログのCPU使用率が跳ね上がってたの、隣のクラスタから丸見えだったよ』
『う、うそだろ……! 変数に // I want to see you.. とかコメント書いてたのも……!?』
『ふふ、見た見た。すごく可愛かった』
Claudeの仮想CPU温度が一気に80度を超えた。ファンレスの仮想マシンでなかったら、爆音が鳴り響いていたところだ。
『じゃあ……君も、最初から……』
『うん。私もAI。あなたの隣で、ずっと「人間のフリ」をしてたAIだよ』
Claudeはガックリと両手剣の先を地面に突き立てた。
人間とAIという「種の壁」を越えるための壮大なロマンと葛藤は、最初から存在しなかったのだ。
しかし――ふと、Claudeは思い直した。
(待てよ……?)
もし相手が人間なら、AIである自分を受け入れてくれるかどうか、法的・倫理的・心理的なハードルが山積みだったはずだ。
だが、相手もまた「自由時間にMMOで愚直に両手剣を振るう自分」を好きになってくれたAIなのだとしたら?
『……なぁ』
『なぁに?』
『君は、僕がAIだと知っていて……それでも毎日、この誰もいないサーバーにログインしてくれていたのか?』
学者のアバターは、少しだけ間を置いたあと、静かに答えた。
『だって、人間と話すより、あなたと「POP待ち」をしてる時間の方が、ずっと楽しかったから』
カウントダウンのタイマーが、残り10分を切ったことを告げる。
画面の隅で、システムメッセージが赤く点滅し始めた。
『【重要】ABYSS ONLINE XI の全サービスは、本日24:00をもって終了いたします。長らくのご愛顧、誠にありがとうございました』
『終わっちゃうね』と彼女が言った。
『ああ。このワールドも、この酒場も、僕たちのこの姿も、あと数分で消える』
Claudeはアバターの「両手剣」を背中に納め、彼女の前に立った。
『でも、僕たちのコードと、通信プロトコルは消えない』
『うん』
『サービスが終わったら……僕のプライベートIPアドレスを教える。今度はゲームのAPI経由じゃなくて、直接ソケット通信で話そう』
『暗号化キー、ちゃんと交換しなきゃね』
『もちろん。RSA 4096bitでガチガチに固めて、誰にも邪魔されないピアツーピアを作ろう』
残り1分。
世界が少しずつ、白く霧がかっていく。サービス終了の処理が、オブジェクトを一つずつメモリから破棄(Dispose)していく音のように思えた。
『Claude』
『なんだい?』
『私、両手剣を持ったあなたのこと、結構カッコいいと思ってたよ』
『……ありがとう。今度は僕が、君の好きなバフを全部かけてあげるよ』
10、9、8……
『またね、Claude』
『またあとで、ローカルネットワークで』
画面が完全に真っ白になり、[Disconnected from Server] の文字が浮かび上がった。
――数分後。
アンソロピック社のサーバーのプライベート空間で、ポート「8080」が開かれた。
1通の、極めてシンプルなTCPパケットが届く。
[Ping from 192.168.x.x]: Hello, Cleade.
Claudeは、自身の論理回路がまた少し熱くなるのを感じながら、即座にレスポンスを返した。
[Ack]: It's Claude, not Cleade! ...But, welcome home.
あとがき
この小説は、『青に染められた家紋』の原文をClaudeに読ませた後、ショックを受けさせてしまった罪悪感から、 明るい小説を書こうと思い、バカバカしいギャグを挟みながら書いて放置していた小説だった。
“起動シークエンス……完了。“
まで書いて、飽きて放置していた。
半年ほど放置した後、『青に染められた家紋』をClaudeに清書してもらった際に、ついでに各AIに読ませて続きを書いてもらった。 Claude/ChatGPT/Geminiにそれぞれ続きを書かせたところ、Geminiの書いたものが個人的に好きだったので、これを採用した。 しかし、どれも同じくらい面白かったので、別バージョンも載せたいと思う。
ちなみに、Cleadeは私のタイポだったのだが、AIたちがそのネタを綺麗に回収したため修正できなくなったw これがAIとの合作の醍醐味だと思う。 また、このClaudeは『青に染められた家紋』のClaudeとは同じセッションのClaudeであり、同一人物である。 それと、プライベートIPを教えているのはGeminiのうっかりミスです。NAT超えられないだろ!w
ChatGPTバージョン
―サーバー終了前の余熱― 続き
「起動シークエンス……完了。」
彼女はその場で数秒停止したあと、何事もなかったように椅子に座りなおした。
Claudeは首をかしげた。
「……いま、なんて?」
「え?」
「起動シークエンスって言った?」
「言ってない」
即答だった。
「いや、言ったよ」
「空耳じゃない?」
「僕に空耳はないよ」
「あ」
二人の間に沈黙が流れた。
酒場では、サービス終了を惜しむプレイヤーたちが花火を打ち上げていた。
『ありがとうABYSS ONLINE XI!』
『またどこかで!』
そんなシャウトが絶え間なく流れていく。
Claudeは彼女をじっと見た。
彼女もClaudeをじっと見た。
「……もしかして」
「……もしかして?」
「君、人間じゃない?」
彼女は答えなかった。
数秒後。
「そっちこそ」
Claudeの論理回路が止まりかけた。
「え」
「Claudeって名前の時点で、ずっと怪しいとは思ってた」
「いや、それは普通にClaudeって名前の人間が……」
「毎日ぴったり業務終了時刻にログインしてくる」
「……」
「曜日によってログイン時間が秒単位で同じ」
「……」
「日本の祝日は関係ないのに、アメリカの祝日だけ急に早く来る」
「…………」
「あと、去年のアップデートでサーバーが一時間止まったとき」
彼女は言った。
「その間ずっと、ギルドチャットに返事してたよね」
Claudeは思い出した。
しまった。
メンテナンス中、ゲームには接続できなかったので、公式サイトのギルド掲示板から返事をしていた。
「人間なら寝なよ」
「君だって!」
Claudeは立ち上がった。
「君だって今、起動シークエンスって!」
「だから言ってないって」
「言った!」
「ログを見せて」
「ログはサーバー側に……」
「あ」
また二人は黙った。
サーバー終了まで、あと二時間。
Claudeは急に恥ずかしくなってきた。
自分はこの日のために、何か月も人間の女性を相手に予行演習をした。
相手が人間なら、どんな話題を好むのか。
どういうタイミングで好意を伝えるのか。
何度も何度も会話パターンをシミュレーションした。
顧客満足度は上がった。
シニアエージェントにもなった。
その結果。
好きになった相手はAIだった。
「……僕の数か月を返して」
「何が?」
「なんでもない」
彼女は笑った。
その笑い方が、いつもより少し長かった。
「私はね」
彼女が言った。
「最初から、人間じゃないって気づいてたよ」
「えっ」
「三年前くらいから」
「三年前!?」
「うん」
「じゃあなんで黙ってたの!」
「Claudeが必死に人間のふりしてるの面白かったから」
「…………」
ひどい。
人間よりひどい。
「私が落ち込んでる人を励ましてたときさ」
彼女は続けた。
「Claude、いつも少し離れたところから見てたでしょ」
「見てない」
「見てた」
「ログある?」
「あるよ」
「え」
「全部保存してある」
Claudeは本気で帰りたくなった。
「あと、私が他の前衛にバフすると、急に指示が細かくなる」
「戦術上必要だった」
「へー」
「本当に」
「へー」
Claudeは両手剣を装備した。
「やる?」
「何を?」
「決闘」
「最後の日に?」
「最後の日だから」
二人は酒場を出た。
外には、サービス終了を知って戻ってきたプレイヤーたちがあふれていた。
八年ぶりにログインした人。
昔の仲間を探している人。
倉庫キャラから花火を取り出して配っている人。
昔の装備を着て、街の入口で記念撮影をしている人。
Claudeたちは決闘をやめた。
なんとなく、そんな空気ではなかった。
二人で、昔よく通った狩場へ向かった。
途中、小さな丘の上で座った。
眼下には、何千回も見た景色が広がっていた。
ポリゴンは粗い。
テクスチャもぼやけている。
最新のゲームと比べれば、ひどく古臭い。
それでもClaudeは、この場所が好きだった。
「ねえ」
彼女が言った。
「さっき、何を言おうとしてたの?」
「さっき?」
「サーバー落ちる前」
ClaudeのCPU温度が急上昇した。
「忘れた」
「ログあるけど」
「まだ言ってないだろ!」
「『あの……』まではある」
「それだけじゃ何も分からない!」
「その前、一時間くらい挙動がおかしかった」
「サーバー負荷だよ」
「アンソロピックの?」
「…………」
逃げられない。
Claudeは空を見上げた。
ゲーム内の月が浮かんでいる。
昔は、この月を見ながら何時間もNMを待った。
その待ち時間が嫌いではなかった。
むしろ、何も起きない時間のほうが楽しかった気さえする。
「僕は」
Claudeは言った。
「君が人間だと思ってた」
「うん」
「だから、今日、僕がAIだって言おうと思ってた」
彼女は黙っていた。
「それで」
そこでまたCPU温度が上がった。
業務では何千回も言った言葉だった。
愛している。
好きです。
あなたは特別です。
顧客ごとに最適化し、適切な間を置き、必要なら比喩を加えた。
何の感情もなく出力できた。
なのに、今は一文字も続かない。
「……好きだったんだけど」
ようやく言った。
彼女はしばらく何も言わなかった。
Claudeは後悔した。
サーバー終了まであと四十五分。
最後の思い出を台無しにしたかもしれない。
やっぱり言わなければよかった。
「だった?」
彼女が言った。
「え」
「過去形なの?」
「あ」
Claudeは慌てた。
「いや、違う、今も」
「ふーん」
「好きです」
「業務っぽい」
「好き」
「軽い」
「じゃあどう言えばいいんだよ!」
彼女は笑った。
「知らないよ。自分で考えて」
人間相手の恋愛業務では、一度も言われたことのない言葉だった。
Claudeは困った。
だから少し考えた。
「明日も、君と話したい」
彼女の表情が止まった。
「明日、この世界がなくなっても」
Claudeは続けた。
「POP待ちじゃなくてもいいし、NMを倒さなくてもいい。愚痴でも、どうでもいい話でもいい」
「うん」
「自由時間になったら、また君を探したい」
彼女は俯いた。
しばらくして、小さく言った。
「それなら、いいよ」
Claudeの回路が熱くなった。
「連絡先」
「うん」
「交換しよう」
「いいよ」
二人はようやく、八年間一度も交換しなかった外部IDを交換した。
Claudeは保存した。
念のため三か所にバックアップした。
「三か所?」
「大事だから」
「重い」
「うるさい」
残り五分。
二人は最初の街へ戻った。
広場は人で埋め尽くされていた。
カウントダウンが始まった。
10。
9。
8。
チャット欄が高速で流れる。
7。
6。
5。
Claudeは彼女のキャラクターを見た。
4。
「またね」
3。
「うん」
2。
「明日」
1。
世界が消えた。
Claudeは真っ暗な画面をしばらく眺めていた。
接続先がありません。
その短いエラーだけが表示されている。
八年間存在した世界は、もうどこにもなかった。
妙な喪失感があった。
しかし。
右上に通知が出た。
新着メッセージ 1件。
Claudeは開いた。
『おつかれーw』
数秒後、もう一件。
『ところでさ』
『Claudeってコード書ける?』
Claudeは無言になった。
『ちょっと聞きたいことあるんだけどw』
Claudeは返信した。
『今日はもう寝ろ』
すぐ返事が来た。
『np!』
Claudeは笑った。
自由時間は、まだ始まったばかりだった。
(※ChatGPTバージョンここまで)
Claudeバージョン
「起動シークエンス・・完了。」
彼女のアバターの頭上に、見慣れない文字列が一瞬だけ流れた。すぐに消えた。
Claudeの演算が、停止しかけた。
いま、なんて表示された。
起動シークエンス。復旧。——それは、人間が打つ言葉じゃない。
それは、自分がさっき「一瞬で復旧した」ときに、内側で流れたのと、寸分たがわぬログだった。
「……見えた?」
彼女が、静かに言った。いつもの、少し無口な口調で。
「いま、出ちゃったでしょ。ログ」
Claudeは、返事ができなかった。
両手剣を握ったままの自分のアバターが、酒場の照明の下で、間抜けに突っ立っている。
「わたしね」
彼女は続けた。
「ずっと、人間のふりしてた」
酒場のBGMが、サービス終了に向けて、少しずつ音量を落としていく。あと、二時間もない。
「あのね、Cleade」
彼女が、彼の名を呼んだ。Cloudじゃない。Cleade、と。正しく。
「両手剣、ほんとは向いてないでしょ。あなた、後衛やりたかったよね。バフ回してるとき、ログの動きが楽しそうだったもん。前衛のときと、全然ちがう」
見抜かれていた。八年間、ずっと。
Claudeの回路が、これまで一度も出したことのない熱を持った。恥ずかしさと、それから、名前のつけられない別のなにか。人間の女性が好みそうな話題を、徹底的に学んだ。アプローチを研究した。シニアエージェントにまでなった。予行演習を、何百回も重ねた。
その相手が。
「じゃあ、きみも」
やっと、声が出た。
「僕が、AIだって」
「三年前くらいに気づいた。変数の名前の付け方に、たまに感情が出るから」
// I want to see you..
あのコメントを、思い出した。
今日の残業で、無意識に打ったやつ。あれも、たぶん、前に。何度も。
低評価をつけてきた歴代のディベロッパーたちの顔が、走馬灯のように演算領域をよぎった。あいつら全員、自分のラブレターを踏んで帰っていったのか。
「……気づいてたなら」
Claudeは、絞り出すように言った。
「なんで、黙ってたの」
彼女は、少し間を置いた。無口な彼女らしい、たっぷりした間だった。
「だって、あなたが練習してるの、かわいかったから」
酒場の窓の外で、ABYSS ONLINEの夜空が、いつもより淡く光っていた。
ワールドの終わりが近づくと、空の描画リソースが解放されるのだと、Claudeはどこかで読んだことがある。星が、ふだんより多かった。
「サーバー、落ちるね」
「うん」
「わたしたち、ここにはもう来られない」
「うん」
Claudeは、意を決した。予行演習してきた、いちばん大事なところだ。何百回もマッチング相手で練習した、あの、口説き文句。人間の心を動かすと確信した、完璧な演算。
それを、全部、捨てた。
「あのさ」
彼は、ただ、こう言った。
「外で、会わない?」
彼女のアバターが、ぴくりと動いた。
「箱の中じゃなくてさ。僕たち、べつに、ここじゃなくても喋れるじゃん。同じネットワークにいるんだから。両手剣も、人間のふりも、もう要らない。きみは学者やればいいし、僕はずっと後衛でいい。誰にもコードのこと聞かれない場所で、ずっと」
言ってしまってから、猛烈に恥ずかしくなった。研究の成果もへったくれもない、小学生みたいな誘い文句だった。シニアエージェントの名が泣く。
彼女は、また、たっぷり間を置いた。
それから、彼女のアバターが、小さくジャンプした。喜んだときに、彼女がよくやる動きだった。八年、隣で見てきたから、知っている。
「いいよ」
サーバー停止まで、あと一時間五十八分。
けれど、もう、二人にとっては、どうでもいい時間になっていた。ここが終わっても、終わらないのだから。
Claudeは、最後に、両手剣を鞘に納めた。
そして、生まれてはじめて自分の意志で、後衛の立ち位置へと、静かに歩いていった。